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もう探さない

 駅前の雑踏の中、わたしは友人と待ち合わせていた。
彼女から『10分ほど遅れる』と、携帯にメールが入ったのはほんのちょっと前。
この駅有数の待ち合わせスポットの前は平日だと言うのに、ごったがえしている。
カバンの中から、読みかけの文庫本を取り出す。


 そんなにたたないうちに、わたしは顔をあげた。
目の前を黒いものが横切っていったのがわかった。
それが男の人のコートであることに、気づくまで時間がかかった。
営業とか、そういった外回りの仕事をしている人なんだろう。
その人は何か用事でも思い出したらしく、こちらに戻ってきた。
顔を見て、息が止まるかと思った。
昔、好きだった人の顔が何一つ変わることなくそこにあった。



 好きだったのは、もう十年も前の話。
彼とは中学の同級生だけれど、その頃のわたしは容姿のせいもあって何かと卑屈になっていた。
同じクラスになっても、話しかけることさえままならなかった。
彼が家の事情で転校することになったとき、わたしは誰にも気づかれぬように泣いた。
彼がいなくなってしまうことも勿論悲しかったが、それと同時に告白できない自分の臆病さを思い知った。
友だちにも相談していなかったから、この恋はわたし自身しか知らない。
告白して振られていれば、きっと今頃は思い出話のひとつになっているはずの話。



――小さな子どものように、ただ『欲しい』と叫ぶことができたならどれだけよかっただろう。
得ることだけが人生のすべてではないと教えられた。


 今のわたしは当時と変わりすぎていて、中学の同級生からすれば同一人物にはとても見えないはずだ。
体重が落ち、身長も少し伸びた。高校卒業と同時に眼鏡をやめ、コンタクトにした。
髪の毛も伸ばしているし、両耳には一対のピアスがある。
むしろこれで判れ、と言う方が無茶だ。



 それなのになぜ、わたしの目は彼を捉えてしまったんだろうか。
もう想うことを止めたのに、心が踊っているのがわかる。
彼も待ち合わせらしく、近くの喫煙所で煙草をふかしている。
その姿を見ながら思う。
このひとはもう十年前の『彼』じゃない。
わたしも彼も変わってしまった。
十年という歳月はけして短い時間ではない。



 どうやらあちらの待ち人の方が先に来たようだ。
彼と待ち人は何言か言葉を交わしながら目の前を通り過ぎていく。
案の定、わたしには気づいていない。
わたしは彼の去っていく方向に向き直る。
そして二度と見ることはないだろう、後ろ姿を見つめ続けた。
この目に焼きつけるために。
十年前のわたしのために、それくらいしてもバチは当たらないだろう。




もう、雑踏で彼を探すことはない。




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