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闇の中に輝くもの

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 その喫茶店には、入口からちょっと離れたところに、グランドピアノがある。
黒く光っているそれは、何時行っても演奏者の姿を見ることはないのだけれど、埃を被っている、なんて姿になっている事はなかった。
少なくとも、私がいる時には見た事がない。
あまり明るくない店内の、それでも窓から差し込む光に、艶やかに光るピアノ。
孤高の存在、という言葉がぴったりの。



 その日も、私は、ピアノに近い席に陣取って、窓の外を眺めたりエスプレッソを楽しんだり、ついさっき買った雑誌をめくったりしていた。
そんな、ささやかな楽しみが出来る、共用の『自分の部屋』のような空間の店だった。
柔らかな、しかし深い苦味の珈琲が咽喉の奥に落ちていく。
店主も奥に引っ込んでいて(たまにそういう事がある。客が入ってきたらすぐに出てくるし、レジは奥にある。面倒そうだが)店内は、私独り―――とピアノだけ。
(何時見ても、やっぱり綺麗だなあ)
ピアノを見て、そう思う。
手入れの行き届いているグランドピアノ。
あまり話さない店主から聞き出した所によると、ちゃんと調律もされているそうだ。
なら、このピアノはまだ生きているのだ。
正しい、音を紡ぐ為に。ピアノの音が狂いだしたら、狂ったままにされていったら、きっとピアノは死んでいく。
思いながら、珈琲をまた飲む。
「狂ったら、死んじゃうからね」
呟いた。
「面白い」
不意に、声が聞こえた。
誰も居なかったはず、店主の声とも違う、そこまで咄嗟に思って、声の方を向いた。
「今日は。楽しい事、考える方ですね」
黒。最初に、そう思った。
黒いジャケットと黒のジーンズ。中に着ているシャツも光沢のある黒で。艶のある、癖はない黒髪。
白い額にかかる前髪の下の瞳は大きく、闇のように黒く。真っ直ぐにこちらを、私を見ている黒い目。
黒の印象をまとったその男の人が、艶やかに光るグランドピアノの椅子に、まるで指定席のように座っていた。
よく見れば、鍵盤が出ている。蓋が開いている。
見た目は随分若い。二十歳前半、もしかしたらまだ十代かもしれない。
私の不躾なまでの視線に、柔らかく微笑む姿は善人を思わせる。
まるで、闇夜の、雲の間から差し込む月の光の様に。
しかし。
確かに、入口のドアは開かなかった(ベルが付いているから、鳴るはずなので)窓も閉まっている。
私の知る限り、裏口もないはず……。
「僕が、何処から来たかって事は考えない方が無難ですよ。答えはないですから」
「ない?」
何を言っているんだろう、そう思って、声を出して店主を呼ぼうとした。呼ぼうとした、未遂で終わったわけは。
ピアノが、鳴り出した。正確にはその人が、弾きだした。
涙が、何故か出そうになる、そんな音を。


 トルコ行進曲のメロディだ、とはすぐに気が付いたけれど。
何故、この人が奏でる音は、こんなに泣きたくなるのだろう。
心の奥底の、柔らかな部分を、そっと撫でていく風の様に。桜の花弁を運んできた、最初の春の風。
そして静かに見守る優しい瞳。
涙が出る。



 情けないけれど、涙を流している間に、ピアノの音は聴こえなくなっていた。顔を上げると、
「申し訳ないです。泣かせてしまって」
黒ずくめの、その男の人がいた。ハンカチ代わりだろうか、店のペーパーナプキンを差し出している。
「……有難う」
礼を言って、受け取ると、にこりと笑った。近くで見ると、幼いその顔。ピアニストらしく、長く細い指。
よく見ると、耳には青い石があった。右耳だけ。
「気になります?これ」
「いえ……綺麗だな、と思って」
答えると、その人はまた、にこりと笑って、
「あげます」
何処から出てきたのか、左手の上には彼の右耳についているのと同じピアスがあった。
私もピアスホールがあるからまだいいけど、いや、問題はそこぢゃ無くて。
「僕ね、右しか穴開いてないんです。左開けたくないし。余っちゃうから」
当惑した私の心を読むように、言い訳のように、彼は言って私の手に、青い石を乗せた。
「片耳だけで、すいませんけど。綺麗って言ってくれて、嬉しかったので」
呟く言葉を聞きながら、手の中の石を見る。よく見るとそれは。
「キャッツアイ、ですねこれ」
石に走る、白い一筋。猫の目に似ているからキャッツアイ。顔を上げると彼は笑って肯定する。
「闇の中に光る物、です」
そんな台詞を、笑って聞く。礼を言って、耳につけた。青く、耳で光る。



 「狂っても、それを『狂い』と、見るか『正常』と見るか。ラインさえ引かなければ、どちらも愛されるべき物なのにね」
何故か、そんな言葉を聞いた気がした。



 気が付くと。
店内には私独りだけだった。ピアノと。私だけ。
後で確認しても、店主は誰も入って来ていない、と言い張るばかり。
ただ、私の耳朶に、青くCat’s Eyeが輝くだけ。                      





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一番最初のネット友だち、風渡春(かぜわたり・はじめ)さまのサイト(現在は閉鎖)よりカウンタ777でいただいた小説です。
お題は『eye』です。
文中に出てくる宝石に青色のものがあるとは知らなくて、驚きました。
ありがとうございました。            
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