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花のよう

 その美しい人は、野辺に咲く花のようにひっそりとたたずんでいた。
僕はそこが大学の図書館であることをしばし忘れた。
資料のありかを尋ねた司書が僕に声をかけていたことも気づかないぐらいだった。
23歳、大学院に進んだその年。
僕は彼女に一目で恋をした。




 彼女は僕の専攻する政経学部の助教授だ。
教授陣がのきなみ年老いた男性ばかりの中、彼女は華を添える存在のようだったし僕の友人たちや後輩からの評判もけして悪いものではなかった。
テストはそこそこ厳しいと聞いたが、講義をきちんと取っていれば難解というほどのものでもないらしい。
僕は講義便覧で彼女の担当する講義を探し出し、受講登録をした。
講義自体は三年生向けのものだがそこそこ大人数のものだったから、院生の僕がこっそりまぎれていても誰も気にとめなかった。
彼女の講義はとてもわかりやすかった。
なぜ学部生のときに彼女の講義を取らなかったのか。
そればかりは後悔した。




 三ヵ月後、夏休み前のテストの回答を提出するときに僕は彼女に告げた。
「院生一年の榎木鷹明といいます。僕はあなたが好きです」
大学のテストは回答を提出すれば退出してもいいことになっている。
回答は早くに書き終わっていたが、最後の方までねばった。
数人の学生が教室に残っているが、いずれも後ろのほうに座る者たちばかりで僕の声は聞こえなかっただろう。
彼女の顔が赤くなる。
「大人をそんな風にからかうのはよしなさい」
「からかってなどいません」
僕は彼女の目をまっすぐ、矢を射るように見つめた。
彼女はちらりと後ろのほうに座る学生たちに視線をやる。
「その話はあとで聞きます。退出しなさい」
「わかりました」
僕は一礼すると、教室をあとにした。
教室を出たあとで、恥ずかしさが一気に襲ってきた。
なんてことを言ったんだろう。
こうなったら開き直るしかない。
二ヶ月にも及ぶ夏休みに、あなたに逢えないのは寂しいと伝えよう。




 講義終了のチャイムが鳴ってから十五分後、僕は彼女のゼミ室にいた。
再度自己紹介をし、さっきの告白が嘘や冗談ではないこと、いつから好きになったのか全部あらいざらい彼女に伝えた。
彼女は聞き終えると、そっと口を開いた。
「あなたと夏休み中、会ってもいいわ」
やった、と声が出てしまいそうになる。
彼女は続けた。
「でも、一つ条件があるの。私と二人きりじゃなく、娘が一緒でもよければ会うわ。それでは嫌かしら?」
む、娘?
離婚していることは噂で知っていたが、娘がいるなんて考えてもみなかった。
彼女の年齢を考えたら、確かに子どもがいてもおかしくないのに。
「私が離婚しているのは君も知っているでしょう? 夏休みで小学校も休みだからできるだけ一緒にいてやりたいのよ」
そう言う彼女の顔はとてもりりしく、美しい。
こういうのが母親の顔ってやつなんだろうな。
「いいですよ。先生の連絡先を教えてもらえますか?」
僕は彼女の条件に応じた。



 いつか、あの日見た美しさも、今日のようなりりしさも僕はすべて手に入れる。
花のように微笑む彼女が僕の未来にいてほしい。
彼女をずっと隣で見つめ続ける存在になりたい、と、僕はこの日願った。

           



                                         

                                
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