夏の終わり 1



夢のなか 君が笑ってた。


ずっとずっと 許さないで。



 見たこともない所に俺はいた。
どこか、ガイドブックに出てくる山間部の村っぽかった。
その見たこともない村の中を、足が勝手に進んで行く。
ひどく醒めた意識の中で、俺は勝手に進んでいく足を止めようともせずに見つめている。
絵本のような緑の中を進んで行く。
緑の途中には誰もいない。
肌に絡みつくような湿った空気を感じていた。
緑の中に別の色彩が混じり始める。
あの黄色は、ひまわりだ。
ひまわりが、夏の日差しの下で迷路のように立ち並ぶ。
ひまわりの迷路の中に人がいた。
肩の上で真っ直ぐに切り揃えられた髪が、淡い翡翠色の浴衣の上で揺れる、あどけない少女。
俺に気づいて見返す目は、悲しそうにも、俺を憎んでいるようにも見えた。


        夏の終わりと共に、この迷路も終わる。

        抜け出すことが、幸せじゃなくても構わない。



 「………あの」
「あなたは、誰」
「俺は、深沼悠輔ふかぬまゆうすけ。十五才」
確かに、俺の手はまだ大人というには幾分小さかった。
Tシャツにジーンズ、スニーカーといったラフな恰好をしている。
「嘘つき」
「え?」
「ここには、嘘つきしかいないのよ」
それだけ呟くと、そのまま踵を返して、少女はひまわりの迷路の中に戻っていく。
俺は一瞬唖然としたが、すぐに怒鳴った。
「何なんだよ!? 何が嘘つきなんだ? 誰だよお前!」
葉津はつ
丈の高いひまわりで葉津の姿は俺の視界から消えた。
すぐに俺は追いかけたのに、葉津を見つけることはできなかった。
草と土の匂いが鼻を付く。
俺は、何かに化かされたのかと思った。
だけど、葉津の
「嘘つき」
という言葉がやけにリアルに耳にこびりついて離れない。
俺は、どんな嘘をついたのだろう?




 「ただいま」
手に小さいひまわりを持って、葉津が小さな民家に入る。
「お帰り」
やはり浴衣を着た女性が笑いかけて葉津を迎える。
二十代後半か三十代前半程の、真っ直ぐな黒髪を背中に流した、美しい女性。
「ひまわりも、もうすぐ終わるから」
葉津は彼女に手に持ったひまわりを差し出す。
ひまわりを受け取り、彼女は視線を花に移した。
「夏が終わったら、種を取りましょうね」
独り言のような彼女の言葉に葉津は頷く。
夏の終わりにひまわりの種を取って、ずっとずっと植えていくうちに、ひまわりは迷路になった。



        ひどく やわらかな くだらない 夢のなかで 

        俺たちは 確かに 幸福だった。



 なんの当てもないので、悠輔はひまわりの迷路を彷徨っていた。
迷って困ることもない。ぼんやりとしか、何もかもが解らない。
「……………」
残暑なのか、まだ日差しが暑い。悠輔は手を顔の前にかざしたが、指の間から零れる光が眩しかった。
聞かれて初めて、自分の名前を思い出した。
自分の名前で、自分の存在をやっと認識するように。
どちらを向いても、ひまわりだらけだ。
「……まだ種は食えねーな」
萎れた花はあっても、種が食べられる程枯れるのにはまだ少し早すぎる。
『……………』
同じ事を言って、昔誰かに笑われた覚えがあった。
笑い声と、やわらかな笑顔。
それは、いつか、かき消された、懐かしいもの。
夏の終わりに。





 「どうして、外に出ようとしないの」
引き戸に寄り掛かったまま、葉津は先程の女性に問う。
彼女のひまわりを涼しげなガラスの花瓶に活けていた手が一瞬止まった。
「ずっと、ずっと、物心ついた時からここにいた」
静かに葉津が続ける。
「………そうね。きっと、私はまだ」
彼女が微笑む。
「……優しい嘘が好きなんでしょうね」
「それは『嘘』だと言ってくれる人はいなかったの」
「だって、『嘘』だと知っているし、ここは、葉津と私だけしかいない」
彼女のいけしゃあしゃあとした答えに葉津も唖然としていたが、気を取り直して、彼女に向き直る。
「嘘つき」
「あら何故?」
ひまわりを活けた花瓶を床の間に飾りつつ、彼女は振り返らないまま尋ねた。
「だって、他に人がいたわ」
「―――――ふぅん」
気のない返事をして彼女は立ち上がる。
「―――そろそろ夏も終わりかしら」





            
【2へ続く】