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その瞳、その手、その声

 早朝の電話は不吉だと、誰かが言っていた。
そんなことを言ったのは妻だっただろうかとぼんやりと考える。
夢の中で鳴っていると思えた電話のコール音は、現実だった。


 「はい、三島です」
電話の主は大学時代からの友人だった。
「朝早くに申し訳ない。……千恵子が、亡くなったそうだ」
一瞬、何を言われたのかわからなくなった。
「何……だと……」
「千恵子が亡くなったんだ」
『千恵子』――彼女は十二年前に別れた元妻だ。


 二日後の朝刊のお悔やみ欄に嫌でも目が吸い寄せられ、本当に彼女がこの世からいなくなったことを実感させられた。
彼女は大学の教授だから、学校の面子もあるし学生たちにも知らせないわけにもいかないのだろうと納得した。
彼女は再婚していたらしく、知らない名字を名乗っていた。
彼女の意志の強い瞳も、柔らかく白い手も、涼やかな声も、もうとっくに他の男のもの。


 新聞を畳みながら、お悔やみ欄で元妻の訃報を知る男というのはこの世にどのぐらいいるのだろうかと考えてしまった。


 そういえば娘はどうしているのだろう?
再婚しているなら、相手の男が育てるのだろうか?
父親である自分が引き取って育てるべきなのだろうか?
別れる時には三歳だった娘も十五歳になっているはずだ。
引き取るか引き取らないか、相手と話をしなければいけないだろうな。


 告別式に出て、その後、娘と相手と話をする。
中学生である娘は彼女と同じ目で俺を最初から拒絶していた。
実の父親であっても十二年、一度も会いに行かなかった。
さぞかし恨んでいるのだろう。
彼女に「娘に会いたい」と伝えたことは何度かあった。
だが、お互いの都合が合わないまま連絡先がわからなくなっていた。
だからといって、彼女の連絡先を共通の友人に聞くことさえ煩わしく思えた。


―――俺を捨てて、自由になった彼女と娘を見たくなかっただけだ。
妻に家にいてほしかった俺と、研究を続けていたかった彼女との結婚が破綻したのは今思えば当然だった。
結局、俺はまだ彼女に置いて行かれた気になっている。


 「三島さん」
妻の再婚相手は若く、聞けばまだ三十代だという。
妻と同じ大学で働いているという彼はこれからも娘と生きていく覚悟があるらしく、はっきりと俺に告げた。
「血がつながっていたら、家族ですか? 僕と沙和は、血が繋がっていなくても千恵子さんが遺した大切な家族ですよ」
俺は彼の中に、かつての自分を見た。
妻と結婚し、娘――沙和が生まれると知った時の自分を。


 連絡先として名刺を一枚彼に渡した。
だが、彼らが今後それを使うことはおそらくないだろう。
二人の目を見たらわかった。
それがどんな形であろうとも、俺は関わることすらできない。
祈るのは、彼女にそっくりな目をした娘の幸福のみだ。
実の父親としてそのぐらいの祈りは許されるだろうか。




                                  終

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