「瞳、いいかげんに起きなさい」
その日の朝もいつもと変わらぬ朝のはずだった。
時計は七時半を廻ったばかりだ。
今日は十一月二十三日の月曜日である。しかし、『勤労感謝の日』という名の休日なわけだ。
だが、いつまでも寝ているわけにもいかないと思いながらも、布団のあったかさに勝てずにうだうだしていた。
と、同時にお姉ちゃんから情けも何もない声が飛んでくる。
「いつまでも寝てると、風呂釜と一緒に捨てていくよ」
……こう言われては、いやでも起きざるをえなかった。
あたし、藤谷瞳はもそもそと布団から這い出す。
お姉ちゃんと妹の和紗はとっくに起床していて、両親が言うままに忙しく動き回っていた。
「それならもっと早く起こしてくれればいいのに」
「六時半からずっと起こしていましたよ。起きなかったのは自分の責任でしょう。水樹、それ取ってちょうだい」
あたしは何も言えなくなり、黙ってしまう。
お姉ちゃんは言われたとおりにお母さんに何かを渡した。
これから隣町に向かってお引っ越しである。
隣町は、同じ市内の線路をはさんで反対がわ。
引っ越しといっても大きな荷物は昨日の日曜日、新しい家に運ばれていて、今片付けているのは食器とか小さめの荷物だけだ。
引っ越すという話が出たのは、今年の夏ごろのことだ。
父方のおじいちゃんと一緒に暮らすためにお父さんが家を買ったんだって。
おばあちゃんは三年前に病気で死んでしまった。
おじいちゃんはそれ以来、隣の市で一人で暮らしていた。
一緒に生活しようにも2DKの県営団地はせまい。
小学生のあたしたち三人に六畳間一部屋という割り振りは、あたしが考えてもそろそろ限界だと思う。
二学期終了が一ヵ月後なので、あたしと和紗は三学期から別の学校に転校することになった。
どうせなら新学年から通いたいけど、そうもいかないらしい。
お姉ちゃんは小学六年生だし卒業が近いというのもあって今の学校で卒業することになって、中学に入るのと転校が同時になるんだ。
お姉ちゃんだけいいなぁ、ずるい。
それにしても、今まで転校してきたり転校して行ってしまった友だちが多かったけど、まさかあたしが見送られる方になるなんて思ってもみなかったなぁ。
次の日の朝、あたしたち三人はかなりの速さで走りながら学校へと向かっていた。
新しい家で初めてひとりの部屋を与えられたため、なかなか寝つけずに三人が三人とも寝坊してしまった。
「ふたりとも、帰り道はわかるわね?」
あたしたち二人がうなずくのを見届けて、お姉ちゃんは走り去って行った。
五・六年生は昇降口が他の学年とは別の場所なんだ。
だから、教室に着くまでにちょっと時間がかかる。
『階段二段飛ばし駆けのぼり』が効いたのか、教室に到着したのは始業のベルが鳴る二分前だった。
足の速いお姉ちゃんはともかく、和紗は無事に教室にたどり着けたのだろうか?
遅刻になってやしないかと、心配してしまう。
二学期の終わりは意外と早く訪れた。
秋の遠足や学芸会はもう終わっていて、特にこれといった行事があるわけではないから仕方ないのかな。
十二月二十二日――――二学期終業式の日であり、あたしと和紗がこの南町小学校に登校する最後の日だ。
机の中も小さなロッカーの中も、先生から預かる書類も全部昨日までに持って帰ってある。
体育館で終業式に出て教室に戻ると、担任からあたしが転校することがみんなに知らされる。
男子も含めてクラスの半分以上は転校することを知っているはずだけど、それでも女子の何人かは泣いている。
「藤谷、あいさつを」
担任の島岡先生に言われて、あたしは自分の席から黒板の前に出る。
「今日でこの学校とお別れすることになりました。みんなと過ごした思い出はたくさんあるけど、きっと忘れません。新しい学校でも元気でがんばろうと思います」
最後の通知表を受け取り、みんなから色紙や花束を貰って帰ろうとして昇降口を出る。
ちょうど教室の真下を通り過ぎようとしていたとき、誰かに呼ばれたような気がした。
後ろを振り返ったりしながら声の主を探していると、声は斜め上から降って来た。
驚いて上を見上げると、幼なじみの
葛西智穂が泣きそうな声で叫んでいる。
「バイバーイ」
あたしも涙声になりながら、斜め上の窓を見上げて大きな声で叫び返していた。
「バイバイ」
そして、花束を持った右手を頭の上に高くあげてみせる。
―――――それは、まるで、これから始まる『何か』への合図のように。
序章・終