あたしと永野はその後、担任を含む数人の先生たちの手によって職員室に連れて行かれた。
「いったい、何が原因なの?」
担任の佐藤先生はあたしたち二人を交互に見て、ため息をつくような仕草をしながら聞いてくる。
互いに制服はボロボロで、あたしの結んだ長い髪はぐしゃぐしゃに崩れている。
「……永野君が、あたしが国語のテストでクラス最高点を取ったのは……林くんの答案をカンニングしたからだ、って言うんです。あたしは元々国語が得意だし証拠もないのにひどすぎます」
「永野君、本当なの?」
佐藤先生が永野に尋ねるが、ばつが悪いのか、黙っている。
「本当です。クラスの子たちに聞いてもらって構いません。それに、もし永野君が見ていたのなら彼の方がカンニングです。テストの時の出席番号順だと、『な』の彼の席のほうが林くんよりも前です。二つ後ろにいるはずのあたしを見ていることの方が不自然です」
さっきは口にしなかった、決定的な証拠をあげる。
これを出されれば、何も言えないだろう。
「永野君、どうなの? 藤谷さんの言うことに間違いない?」
「……そうです。カンニングなんてでっちあげです。林のことにかこつけただけです」
『俺は見た』と一点張りだったさっきとは違い、永野はあっさりと嘘を認めた。
「どうして、そんなことをしたの?」
「生意気だから。姉ちゃんが生徒会長だと思って威張ってるし」
確かにお姉ちゃんは西山中学初の女子生徒会長である。
しかし、あたしはそれを鼻にかけたことも自慢したこともない。
この発言にまた理性を失いそうになるが、かろうじて耐えた。
「生意気だったら何をしてもいいわけ? だいたい、お姉ちゃんが会長だからって威張ったこともないし、自慢したこともないわよ?
あたしはあたしで、お姉ちゃんじゃないんだから!! 気に入らなかったら無視すればいいじゃない!
中学生にもなってそんなことも判んないなんてバカじゃないの?!」
「………」
大きな目で真正面からにらみつけられた上にものすごい勢いであたしにどなられて、永野はさすがに何も言えなくなっている。
「殴ったことは謝ります。 でも、無実の罪を人に着せたのだということを永野君は忘れないで欲しいです」
「わかりました。それから今日のことはご両親に報告します」
「は?」
よくわからなかった。
「お互いに殴っているでしょう? もし、お互いに後から体の痛みなんかが出てきても困るでしょうし、藤谷さんの場合、お姉さんのことも絡んでいるからお母さんに聞いておいてもらう必要があると思うの」
佐藤先生が説明してくれたけど、それでもよくわからない。
まぁ、いいや。
「わかりました」
「それじゃ、この件はお互いに謝って終わりにしましょう」
「ごめんなさい」
「ごめん」
とりあえず謝っておく。
本当はまだ、むかむかしてしょうがないのだけれども。
「まぁ、何はともかく二人ともケンカはダメよ。 特に藤谷さん、あなたは女の子なんだから今日のようなことは感心しないわ」
「何でですか?」
「え?」
佐藤先生は不可解な音を聞いた時のような、間抜けた声を出した。
「『女の子だから』っていうのは、どういうことですか? もしあたしが男だったなら、いくらでも殴り合いのケンカしていいってことですか? ――女だろうが男だろうが知らない罪をかぶせられるような目にあったら戦うべきだと思います」
先生は駄々っ子をあやすような、優しい声で語りかける。
「今はよくても、そのうち体力的にかなわなくなるでしょう?」
「痛い目を見たくなかったら、自分の意見は引っ込めていろということですか」
先生の顔色が、変わるのがわかった。
「そんなことは言ってないわ。藤谷さん、落ち着きましょう」
「ものすごく冷静です。それに力で戦うことがすべてではないでしょう」
先生はあたし以外に、『自分が違うと思うこととはとことん戦う』と教えた両親をも否定したことを知らない。
これ以上言い合っても時間のムダだ。
「先に保健室に行きます。失礼します」
あたしはまっすぐ戸口に向かい、わざと大きな音をたてて扉を閉めた。
職員室を出て、すぐ隣にある保健室に行く。
永野は一緒にならないように、もう少し職員室に残されるだろう。
おそらく佐藤先生もそれくらいはしてくれるんじゃないだろうか。
保健の桂木先生はあたしの顔を一目見るなり、言った。
「あらまぁ、派手にやったわね」
派手といっても、触った感じでは頬にわずかに血がにじんでいるくらいだ。
「傷が随分長いわね」
「そうですか?」
「ほら、そこの鏡で見てごらんなさい」
見ると、3センチはあるようだ。
「転んだとかじゃこんなにならないわよね。何かやったの?」
「いえ、ちょっと…」
まさか男子と取っ組み合いのケンカをしたとは言えない。
昔、習っていた合気道の技が出なかった、というよりとっさに出なかった自分にも今更かもしれないけど驚いた。
技を出したなんて知られた日には、両親やお姉ちゃんに何を言われるかわかったもんじゃないわ。
頬の傷は大きくて、ばんそうこうぐらいでは隠れない。
消毒だけしてもらう。
「髪までぐちゃぐちゃじゃないの。直してあげようか?」
「後で結び直すので、そのままでいいです」
手当ての後に保健室を出て、手洗い場に向かう。そこで二つに結わえた髪をほどく。
本当ならそのまま結ばずに流しておきたかったが、細かいことにうるさい上級生に見つかったら何を言われるか判らない。
持ち歩いているくしを出して、後ろでひとつに結び直す。
上から下まで制服を見直すと、多少のホコリはついているが破れたりしているところはない。
ホコリを払い終えると、ちょうどいいタイミングで授業終了の鐘が鳴る。
教室に戻ると、空気が一瞬固まる。
あたしが戻ってきたのを世良が目ざとく見つける。
「瞳、大丈夫? 先生に何か言われた?」
「大丈夫だよ。ただ、『女の子なんだから今日みたいなケンカしちゃだめ』だって」
「何でよねぇ? こっちはふっかけられたんだ、って言った?」
「言ったわ。それがぬれぎぬだって永野も先生の前でちゃんと言った」
「あの先生、生徒のことわかってないんじゃないの」
世良は呆れがちにつぶやく。
林くんがいつの間にか近くに立っていた。
「藤谷、申し訳ない。俺のせいで……」
「いいよ。永野は本当はあたしが気にいらなくて、文句つけたかっただけなの。 それを林くんのせいにしたのよ」
「本当に申し訳ない。藤谷がそんなことするはずないよな。
藤谷は一学期最初のテストでも国語が最高点だったのに、そんなことも忘れて文句つけて最低だ。 ちゃんと俺からも永野に言っておくから、許してやってくれないか」
あたしが一学期最初のテストでも国語が最高点だった、なんてよく覚えていたものだ。
「なんで、そんなこと覚えているの?」
「国語に関してはライバルだと思って気にしてたんだ。 もし、まだ疑われるようなら言ってくれ。俺が説明して歩くから」
ありがたいけど、それは遠慮する。
男子同士、女子同士ならまだしも、男子と女子のことでは『あいつらはつきあってる』だの言われてしまう。
何も知らない人間に周囲を無駄に探られるのは嫌だ。
「それは林くんが心配することじゃないわ。 疑ってる人からしたら『あいつはカンニングした奴をかばってる』と思われるのがオチよ。
何か言ってくるのがいたらまた叩きのめすだけだから平気」
次の時間のための教室移動の途中で、すれ違いざまに誰かに呼び止められる。
「藤谷」
振り返ると、鈴木が立っていた。
C組も移動なのだろうか。
彼は自分のネクタイのあたりを指差しながら言う。
「リボン、曲がってる」
しまった。そこまで見てなかった。トイレで直そう。
「あ、ありがと」
お礼を言って、階段を登りかける。
すると、思いがけない言葉が飛んできた。
「佐々田から話は聞いた。俺は全面的にお前を信じるからな。バカは気にするなよ」
答える間もなく、じゃあな、と彼は階段を降りて行ってしまう。
佐々田が話した?
佐々田め。
クラス内のことなのに、わざわざ心配かけるようなことを話しやがって。
たまたま居合わせたのならまだしも、いちいち話すなよ。おしゃべり。
おしゃべりな男は嫌われるんだから。
それでも、自分のことを無条件で信じてくれるひとがいることは嬉しい。
第三話(2)・終