FAKE 1 ―彷徨える魂―

 ――ここは、いるべき場所じゃない。
物心ついた頃からずっと、違和感を感じている。



 意識を消して、存在の輪郭を曖昧にして、音さえ届かない場所へ行く。
深く深く。




 眠りが浅いのかいつもいつも寝不足で、クラスでは起きているのが珍しいほどの変人扱いだ。
いったい何が自分を悩ませているのか、よくわからない。



 「早百合」
放課後になっても、机で眠りこけている彼女に声をかけたのは西村佳乃かの
「かの……?」
「いつまで寝てんのよ? 帰るわよ」
「授業はぁ?」
「とっくに終わったわよ。今、何時だと思ってるの?」
佳乃が早百合の腕時計を指差しながら、言う。
左手首のそれはもうすぐ六時になろうとしていた。
それを見た早百合は勢いよく立ち上がり、カバンをつかむ。
「どうしたの?」
驚いて机から後ずさる佳乃に、早百合が疑問で答え返す。
「駅前の花屋さん、確か七時までだよね?」
「そうだけど……?」
佳乃が答えると、早百合はすばやく教室を駆け抜けていった。
佳乃は思わず顔を押さえて、呟く。
「とんでもない気まぐれね、『眠り姫』は」
―――『眠り姫』。
それは授業中以外をほとんど睡眠に費やしている、宮本早百合の別称だった。




 早百合は校門を抜けてから、友人の西村佳乃を教室に置き去りにしたことにようやく気づいた。
あとで謝罪の電話をしよう。
強く思いながら、目指す花屋へと駆ける。
今日は母親の誕生日だ。
ずっと何がいいのかわからなくて、昨日ようやく花を買おうと決めたのだ。
あやうく寝過ごして買えずに帰るところだった。
母が好きだという紫苑と色の重ならない花を組み合わせた花束を作ってもらう。
すこし値が張ったが、バイト代が入ったばかりなのが幸いだ。
花束を持って自宅方面への電車に乗るため、改札をくぐる。
電車の待ち時間に薄桃色の携帯電話を開くと、メールが届いていた。
差出人は『牧野恭平』。
彼はつきあって一年ほどになる、三歳年上の早百合の彼氏だ。
『今日、いい?』
急いで返信する。
『今日はダメ。明後日ならいいよ』
明日はバイトが入っているが、明後日は休みだ。
『じゃ、明後日待ってる』
返信が来たことを確認し、早百合は携帯電話を閉じる。

        

 家に着くと、弟の章仁あきひとが早百合の部屋の前で拝み倒してきた。
早百合の買った花束を連名で母にあげることにして欲しい、というのだ。
「何でちゃんと買わないのよ?」
「仕方ねーだろ、小遣い使っちまったんだから」
早百合は大きくため息をついた。
「今回だけだからね、このちゃっかり者!」
「姉ちゃん、話がわかるなぁ。 ありがとう!」
「さあ、わかったらどいて。 着替えなきゃいけないんだから」
数分もしないうちに階下の母から「ごはんよー」と声がかかる。
「お父さんは遅くなるそうだから、おあがりなさい」
「いただきます」
宮本家の食卓にはいつも誰が食べるのか、というぐらいにご飯が並ぶのだが、今日は母の誕生日ということで更に磨きがかかっていた。
カレーに鳥のから揚げ、ほうれん草のおひたし、福神漬け、おでん、エビチリ、ポテトサラダ、煮豆、ロールキャベツ、とどめに母特製のアップルパイ。
早百合はカレーとエビチリ、ポテトサラダと食後にアップルパイだけを食べた。
食後の片付けのあとで、早百合は母に花束を渡した。
「誕生日おめでとう。これ、二人から」
「まぁまぁ、ありがとう。 お母さんの好きな花、覚えていてくれたのね? 早速活けなくちゃ」
母は大げさなぐらいに喜んで、軽快な足音を響かせながら花瓶を探しに行く。



 ――専業主婦の母、多忙だけど早百合たち姉弟を気遣ってくれる父、ちゃっかり者の弟、優しい年上の恋人、面倒見のいい友人。
恵まれている。
心からそう思うけれど、何かが足りない。
違和感がある。
それはまるで抜けない棘のように。
時折早百合の中に浮かび上がって、消えていく記憶のように。
しかしその『何か』が何なのか、早百合にはわからずにいた。