FAKE 7 失われた明日

 鳴り続ける携帯を手に、役所を出る。
早百合はひとつ深呼吸をして、電話に出る。


「もしもし」
電話口の声は、いつもと変わらない父の声だ。
「早百合か?」
「そうよ」
「旅行はどうだ?そちらは寒いだろう?」
「……えぇ、楽しいわ。こちらは天気も良くて、思ったほど寒くないのよ」
「気をつけて帰ってきなさい。お母さんと章仁もお土産を楽しみにしていると言っていた」
「わかったわ」
当たりさわりのない会話をして終わると思った、その瞬間。
「早百合」
「何?」
「……父さんな、とても大事な写真をなくしたようなんだ。もしかしたら、お前持っていないか?」
早百合は自分の呼吸が止まりそうになるのを感じた。
だが、何とか話すことができた。
答えではない、更なる問いかけを。
「……お父さん、私は今どこにいると思う?」
「えっ?」
父は早百合からの問いかけに戸惑う。
「……宮城県仙台市、太白区役所の前よ」
言葉を返せないほど、父が衝撃を受けているのが電話越しでもわかる。


 「……今夜もう一度電話する、少し時間をくれ」
「はい、では夜に」
早百合は父が話してくれると決めたなら、待ってもいい気持ちになる。
父の声が一気に年を取ったように感じる。
あえて気づかないふりをした。



 長町南駅でコインロッカーに入れた荷物を取り出す。
これから今夜泊まるホテルがある仙台駅前まで戻る。
普段乗っている電車や地下鉄より、運賃が高くて驚く。
都心ならば片道運賃だけで、往復できそうな運賃だ。
昼食は佳乃たちと新幹線の中で食べた。
チェックインを済ませると、部屋に荷物を置く。
とにかく、今は一人でいてはいけないような気がする。
せっかく観光地と名高い仙台市に来たのだから、どこか観光するべきではないか。
テーブルに置かれた観光案内のペーパーを見ながら、どこに行こうか考える。
いろいろ考えた結果、この街を造ったという隻眼の戦国武将像を見に行くことにした。



 ホテルを出て、大きな通りを進むとすぐにバス停がある。
数分も待たないうちに、路面電車風のレトロ調の循環バスがやって来る。
真ん中から乗るのも地元のバスとは違う形だ。
バスは道を縫うように、大きな橋を越えて山の方へ進む。
杜の都だと聞いていたが、この時期にも街路樹は青々とした葉を広げている。


 バスの車内放送が、まもなく仙台城址じょうし公園であることを告げる。
仙台城址公園の展望台に隻眼の戦国武将の騎馬像がある。
停留所でバスを降りたら、たどり着くまで一分もかからない。
平日ということもあり、人影はまばらだ。
騎馬像は以前テレビで見たものよりも、大きく見える。
展望台からは仙台の街が、太平洋まで見渡せる。


――この街にかつて両親と、そして幼い姉がいた。
姉は昭和五十八年の夏に生まれ、平成元年の冬に亡くなったと戸籍に書かれている。
平成二年の夏に早百合が生まれるまで、ほんの半年ほど。
当時六歳の姉に、両親に、いったい何が起こったのだろう?



 日暮れの山を下りて観光地図に載っていた店に入り、名物料理を食べる。
ものすごくおいしいとは言えないけれども、充分な量だ。
味が似ているわけでもないのに、母の料理を思い出す。


 ホテルの部屋に戻り、部屋に入る。
待ち望んだ父からの電話が鳴ったのは、その時だった。 
「はい」
「早百合か。今、大丈夫か?」
「大丈夫です」
「……それで、どこまで知っているんだ?」
どこまで?
早百合は父の言い方に、かすかに引っかかりを覚える。
「私が生まれる前に亡くなった、お姉さんがいる……」
「そうか。そこまでか」
父が電話の向こうで、ため息をつく。
「お前が二十歳を迎えるまで話すつもりはなかったが……早百合、今から話すことは母さんには絶対に言わないと約束してくれるか?」
「どうして?」
姉が亡くなった事は、まさか母が知らないはずがないだろう。
「どうしてもだ。もし約束してもらえないなら、話すことはできない」
「……わかりました」


「……お前はお母さんが何か月かに一度、病院に通っていることは知っているか?」
「えっ?! お母さん、どこか悪いの?」
「今から話すことに関係がある。 ……二十五年前、父さんと母さん、そして『早百合』・・・がお前が今いる仙台に住んでいた。緑が多い街だっただろう?」
「ええ」
「父さんは今と同じように会社勤め、母さんは『早百合』が生まれてから専業主婦になった。そして『早百合』は幼稚園児。どこにでもいる、ごく普通の家族だ」
「……お父さん、お願いだからお姉さんを……、名前で呼ばないで……」
早百合は亡くなった姉を『早百合』と呼んでほしくなかった。
いくら姉が最初の『早百合』であったとしても、亡くなった人の名前で呼ばれるのは嫌だ。
「あぁ、すまない。……では、『早百合』のことは『あの子』と呼ぼう。……あの子が小学校入学を控えた冬の日、二人は幼稚園からの帰りに信号無視の車に……」
その続きは聞かなくてもわかる気がした。
「亡くなったあの子の葬式を身内だけで行い、事故処理をし、環境を変えた方がいいかもしれないと、転勤願いを会社に提出した。母さんは脳波には異常がないと医者は言ったが、一向に意識が戻らなかった」
父は一旦、言葉を切る。
電話越しの声が震えている。
「母さんが意識を取り戻すまで、二ヶ月ほどかかった。……意識が戻った時、母さんはあの子の事を何も覚えていなかった」


 「えっ?!」
早百合は驚いて、声を上げる。
「自分の名前や生年月日だとか、父さんと結婚している事や事故に遭った事はちゃんと覚えていた。あの子の事だけが記憶から抜け落ちているんだ。医者に尋ねると『逆行性健忘』だと言った。脳が強いストレスを受けた事によるものだと」
「お母さんの記憶はまだ戻っていないの?」
「……『いつ記憶が戻るかわからない、明日かもしれないし三十年後かもしれない』と医者には言われている。だから今も月に一度、病院に通って記憶が戻っていないか診てもらっているんだ」
「お母さんは何で自分が病院に通っているか、知っているの?」
「いいや、『事故の後遺症が出てこないか確認するため』と伝えてある」



 そして、すべての始まりが来る。
「母さんは意識が戻った直後に妊娠していることが判った」
早百合は息をのむ。
父は声を荒げる。
「そして……『女の子であれば『早百合』と名付けたい』・・・・・・・・・・・・・、そう言ったんだ!!」