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● 初嵐 8  ●

 あたしが部室に入っていくと、もう川添さんの姿はなかった。
やっぱり急いでたんだね。
「藤谷さん、青依あおいを見なかった?」
伊狩さんに聞かれても、とっさに『青依』が誰のことだかわからなかった。
川添さんのことだと気づくのに少し時間がかかる。
「川添さんなら急いで帰ったみたいだけど」
「そうなの……」


 「何かあったの?」
あたしの問いかけに、伊狩さんは弾かれたようにうつむいた顔をあげた。
「……ううん、何でもない」
答えた伊狩さんの顔は、あたしに何かを聞きたそうで。
でも、聞けない。
そんな顔をしていた。
「あのさぁ、藤谷さんは葛西さんから何か聞いてる?」
「え?」
何で今、智穂が出てくるの?
っていうか、川添さんの話じゃなかったの?
「あ、いいや、ごめん。 今の聞かなかったことにして」
伊狩さんは自分のカバンと体操着入れを素早くつかむと、着替えもしないであっという間に出て行った。
川添さんといい、伊狩さんといい、いったい何だったんだろう?


 『葛西さん』が出てきたってことは、黒川くんの告白のことを智穂から聞いているかってことだったのかな?
もしそうだとしても、川添さんも伊狩さんも何の関係もないはず。
そのことは智穂と黒川くんの問題なんだから。
あぁ、もうちょっとでわかりそうでわからない。
「瞳、みけんにシワ寄ってるぞ」
展人が言う。
鈴木と展人を待っている間に、難しい顔をしてしまっていたらしい。
今日は世良がいない日だから、帰りは三人だ。
「鈴木は?」
「今来るよ」
そう言えば智穂はまだ黒川くんにつかまっているのだろうか?
「展人、智穂見なかった?」
「自転車置き場にいたぞ」
まだ待っててくれてたんだ。
「じゃあ、先に智穂のところに行ってるって鈴木に伝えて」
「わかった」
手を振って、展人のそばから離れる。


 自転車置き場の明かりの下、智穂が待っていた。
「智穂」
振り返った智穂の顔を見て、あたしは驚いた。
智穂の目からは大粒の涙があふれて、顔中をぬらしている。
「ど、どうしたの?!」
あたしの制服の袖をつかんで小さい子みたいに泣く智穂に、何と声をかけていいのかわからない。
まさか、黒川くんに泣かされたとか?
「瞳ぃ……どうしたらいいの、あたし……」
智穂は泣くばかりで、話の内容がよくわからない。
展人と鈴木がこっちに向かって歩いてくるのが見える。
「どうした」
「葛西、何で泣いてるんだ?」
二人は智穂が泣いていることに驚いている。
「あたしもよくわからないの。 今日はこのまま智穂を送って帰るね」
「その方がいいな。 ――俺たちには話せなくても、葛西も藤谷になら原因を話せるだろう」
「瞳、暗いけど大丈夫か?」
「大丈夫。 もし遅くなりそうだったら、家に電話入れるから迎えに来てくれる?」
「わかった」


 鈴木と展人を見送った後、水飲み場まで行ってハンカチをぬらす。
軽くしぼって智穂に渡す。
明日の朝、目がはれて開かないなんてなったら大変だ。
「ありがとう」
智穂はだいぶ落ち着いてきたみたいで、受け取ったハンカチを目にあてる。
「――どうして、あんなに泣いていたの? 黒川くんに何か言われた?」
あたしの問いかけに、智穂は首を横に振った。

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