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● 初嵐 9  ●

 「黒川くんのせいじゃないの」
智穂はハンカチで目を押さえたまま、言う。
「――じゃあ、」
どうして、そんな風に泣くの?
まるで小さい子どもみたいに。
昔のように。
あたしの問いかけは言葉にならなかった。


 「あたしが悪いの。 あたしがはっきり黒川くんに『つき合えない』って言ってれば、川添さんが……」
突然出てきた川添さんの名前に驚く。
「川添さんがどうかしたの?」
智穂と話す黒川くんを見て、急いで帰っていった川添さん。
まるでその場にいたくなかったように。
川添さんがそうするしかなかった理由。
その答えをきっとあたしは知ってる。
なのに、わからない。
『仲間』という言葉が心のどこかでその可能性を否定したがっている。


 「黒川くんと話をしてから、瞳たちを待ってようと思ってここにいたの。 そうしたら、川添さんがジャージ姿のままあたしの目の前を通って行った」
智穂が話し始めるのを、あたしは黙って聞いていた。
「川添さん、泣いてた。 どうしたのかと思ったけど、あたしは川添さんと親しくないから声かけられなくて」
「うん」
あたしは相づちを打った。
確かに智穂は陸上部の試合を見に来てるから、陸上部員の顔はわかる。
だからといって、あたしや世良、鈴木や展人を通さずに話せるかというとそれはできないと思う。
「しばらくしてから伊狩さんが通りかかったの。 川添さんを探していたみたいで『青依を見なかった?』って聞かれた。 帰ったみたいって言ったら、伊狩さんが突然『葛西さんって無神経だよね』って」
あたしはガン、と殴られたような衝撃を受けた。
智穂が無神経ってどういうこと?
「いったい何のことかわからなくて、『どういう意味?』って聞いたら『自分の心に聞けばわかるでしょ!』って強い口調で言われたの。 よく考えてみたけど、黒川くんのことしか出てこなかった」
あぁ、やっぱり。
あたしの心のどこかでそんな声がする。

 
 「川添さんは、黒川くんが好きなんだと思う」
あたしが否定したかった可能性に、智穂は先にたどり着いていた。
『仲間』以上の『好き』。
あたしの想いが『好き』という言葉で仲間で友だちだった鈴木につながったように、今の川添さんの心にも同じ想いがあるんだ。
黒川くんが智穂を好きでいる限り、伝わることのないかもしれない想い。
それをあからさまに見せつけられてしまったのかもしれない。
もしあたしが川添さんの立場なら、耐えられない。
鈴木が楽しそうに梁瀬さんと話しているところを見なくちゃいけないなんて。
しかも好意がよくわかるような顔をして。
「瞳、あたし、どうしたらいい? 黒川くんにきちんと『つきあえないし、好きになれない』って言ったほうがいいのかな? もしあたしが川添さんの立場ならあたしを憎むと思う。 川添さんや伊狩さんに何か言った方がいい?」


 「川添さんにも伊狩さんにも、もちろん黒川くんにも何も言わないほうがいいと思う」
もしあたしが智穂だったら、そうする。
『川添さんが黒川くんを好き』
これもあたしたちが考えているだけで、本当なのかわからない。
それなのに、どうのこうのと騒ぎ立てるなんて無責任だ。
「あたしなら川添さんのことは知らないふりをするよ」
あたしはそう言う。
黒川くんがした智穂への告白をあたしや世良が知らないふりをしたように。
その方が川添さんは『黒川くんが好きなことを智穂に知られたかもしれない』なんて、おびえなくて済むんじゃないだろうか。
「わかった。 難しいかもしれないけど、そうする」
智穂はハンカチを自分のカバンの中に入れた。
「ハンカチ、洗って返すね」
「あ、うん」
あたしは返事をするタイミングを失って、間抜けた返事をした。
「帰ろう」
智穂は先に歩き出した。
あたしはそれを追いかける。
昔はあたしが先に走り出して、智穂はゆっくりだけど後を追いかけていた。
あたしたちは幼なじみだ。
でも、もうあの頃のあたしたちじゃない。



 『好き』や『嫌い』はあたしたちだけのものじゃない。
誰もが持っていて、そのきっかけはほんのちょっとしたこと。
そして直接関係のない誰かが知ることもある、ってことをあたしは今日、知った。


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