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● 誰のために、何のために 3  ●

 合同記録会で記録が伸びなかった。
もう終わっちゃったことだし、次の県新人大会で記録を伸ばせるように頑張るしかないとあたしは気持ちを切り替えていた。
その前にある駅伝ももちろんがんばるけど、駅伝はみんなでやるのだからあたしだけが頑張っても、どうにもならない。
それをちゃんとわかっていないと駅伝はうまく行かないと思う。


 「藤谷先輩、ちょっといいですか?」
数日後の部活が終わった後、あたしは小泉さんに呼び止められた。
何だろう?
「どうかしたの?」
あたしが聞き返すと、小泉さんは言った。
「先輩はどうして走ろうと、陸上部に入ろうと思ったんですか?」
いきなりそんな質問をされる。
どうしてって言われても、ねぇ……。
「走るのが好きだったからと、板河くんの勧誘で今の三年生が入部禁止だって知ったから、かな」
「じゃあ、もし今の三年生がいたら入っていないかもしれない、ってことですか?」
「うん」
あの時、体育館に向かう廊下で板河くんに呼び止められなかったら。
そして陸上部の入部届を渡されなかったら、きっと入部しなかった。
もし、今の三年生がいたら入部しなかったとも思う。
どれだけ走りたくても。
「そうなんですね。 先輩らしいです」
小泉さんは小さく笑う。


 何か様子がおかしい。
おかしいことはわかるのに、それがはっきりと伝わらない。
「小泉さん、何かあったの?」
小泉さんは一瞬、視線を迷わせると下を向いた。
「……先輩には言おうかどうしようか、迷ったんですけど……私、部活をやめるかもしれません」
「え」
驚いた。
どうして?という疑問は声にならなかった。


 「私、入部してからずっと記録が伸びていたんです。 でも、この間の記録会で初めて記録が落ちたんです」
「それは……」
それはあたしも同じだ。
春から順調に伸びていた記録は伸びなかった。
でも、それでやめてしまうのは、少し早すぎる。
「先輩も私も走り方を山内先生に指導されたでしょう? 走り方を変えたせいだと思ったんです」
あたしはうなずいた。
あたしも自分の走り方について同じことを考えたから。
「でも、違ったんです。 走り方がどうとかじゃなくて、私は『なぜ自分が走るのか』わからなくなってしまっているんです。 たぶん、夏休み終わってすぐぐらいからだと思います。 今日みたいに部活をしていても『何のために自分が走っているのか』わからないんです」
あたしはぼうぜんとしたまま、小泉さんの話を聞いていた。
うなずくことさえ忘れていた。
「山内先生や部長、副部長と相談して、辞めるか少し休むか決めようと思います。 藤谷先輩には同じ100の先輩として一番迷惑をかけるかもしれません。 ごめんなさい」
小泉さんが頭をさげる。
「そんな、気にしなくていいよ」
あたしはそう言うのが精いっぱいだった。
後輩が部活を辞めようと思うほど悩んでいたなんて、知らなかった。
ずっと一緒に練習していたのに知ろうともしていなかった。
何か気づくことがあったかもしれないのに。


 走る気持ちがないのに、走らなくちゃいけない。
それはどれほどの苦痛なんだろう。
あたしはまだ走りたくないのに、走っていることはない。
自分が走りたいから、走る。
そういう気持ちを持てないこと。
いつかあたしにも来るだろうか。


―――ううん、来なくていい。
未来にだってそんな気持ちは知りたくない。
あたしは走りたいんだから。
どこまでも、誰よりも早く。


 
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