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● ON YOUR MARK 9  ●

 「実技科目は勉強しなくていいのか?」
展人があたしたちに尋ねてくる。
あたしは音楽・美術・家庭科は完璧に捨ててる。
歌も絵もあまり得意じゃないし、調理実習や裁縫なんて苦手どころか下手したら自分の身が危ないぐらいだ。
唯一、保健体育は実技テストに自信があるから捨ててないだけだ。
「あたしは体育は捨てた。 家庭科と音楽は出席点で何とかなりそう」
智穂がさらりと答えた。
実技科目は出席点と課題の点数、ペーパーテストの点数を総合して成績が出される。
美術部に所属する智穂は美術だけじゃなく、手先も器用だ。
あたしもそんな風に生まれたかったなぁ。
「俺はどれもそれなりにやってるよ。 技術は別に心配ないし、教科書覚えればいいだけだろ?」
鈴木が答えた。
当たり前みたいに言うけど、それができれば誰も苦労しないってば。
      


 大きな道路から路地に入り、少し奥まったところに鈴木の家があった。
「ちょっと待っててくれ」
玄関前にあたしたち三人を置き去りにしたまま、鈴木は家の中に入っていった。
あたしの左側に立つ智穂があたしの制服の袖を軽く引っ張り、小声でささやく。
「よかったね」
え? 何が?
聞き返せないまま、智穂は前を見ている。
いったい何のことだろう?


 と、そのとき、家の中から女の子が出てきた。
小学校五年生ぐらいだろうか、肩にかかるかかからないかのショートカットの髪、オレンジの半袖のパーカーに白いシャツ、ジーパンをはいている。
彼女は展人に目もくれず、あたしと智穂を交互に見つめる。
そして玄関先に立つ鈴木を振り返って尋ねる。
「どっちがお兄ちゃんの彼女なの? 髪の長い方? それとも小柄な方?」
「どっちも彼女じゃねーよ。 友だちだ、友だち」
鈴木の口から出た『友だち』の言葉に、心臓がざわつく。
彼の中であたしはそれ以上じゃない。
わかってるはずなのに。
「ふぅん」
そう言って彼女はまたあたしを見つめる。
あたし、何かそんなに珍しいのかな?
中学生の女の子が珍しいとか? 
でも、それだったら智穂も当てはまるし……。
「真紀ちゃんの家に行ってくるね」
「車に気をつけて行けよ。 今日は友絵ともえの好きなエビ入りカレーだから、早めに帰って来いな」
「ありがとう、お兄ちゃん! 行ってきまーす!」
突風のように彼女は去っていった。    


 「今のって……」
「いったい、何だったんだ?」
智穂と展人のほぼ同時のつぶやきに、鈴木が答える。
「あぁ、あれ、妹。 あいつ、最近俺に彼女がいるかどうかうるさくって……」
「妹さん、いくつだっけ?」
「四つ下だから……小学四年生、だな」
「そうなの?!」
兄の彼女を気にするくらいだから、もっと上なのかと勝手に思っていた。
家に来たことはあっても、声をかわしたことすらなかったから知らなかった。
あたしの小学校四年生なんて、遊びと少しの勉強とクラブ活動と合気道とよく和紗を泣かせてた二つ年上の団地のボス軍団とのケンカでいっぱいだったのに。
たいていお姉ちゃんと一緒にやっつけてたけどね。
今どきの小学四年生は兄の彼女についてまで考えをめぐらせちゃうのか。



 さっきの鈴木が妙に男っぽくてどきどきしてしまった。
「兄」である彼の姿を見るのは、これが初めてじゃない。
小学校のときに妹さんと登校してたのを何度か見たことがある。
身内にしか見せない顔。
それを今さっきまた見せつけられた。



 もう、あたしの頭の中は本当にどうにかなったんじゃないだろうか?
どんな彼を見ても新鮮で、こんなにどきどきさせられているなんて。






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※この物語の設定である1991年には、まだ男子の家庭科履修が義務化されていません。
当時、男子には家庭科の代わりに技術という授業がありました。
その旨ご了承くださいませ。

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