モドル | ススム | モクジ

● TRACK AND FIELD 8  ●

 あたしは声が出なかった。
さっき何もやばいことしなかったよね?
質問された時にも『大事な人』が鈴木だとは話してないし、たぶん大丈夫だと思う。


 鈴木のお父さんは鈴木に近寄ると、いきなり鈴木の頭をなで始める。
髪の毛があっという間にぐちゃぐちゃだ。
「秀之、よくやった」
鈴木が『秀之』と呼ばれたことに、驚いてしまう。
あたしも含めて、学校ではみんな鈴木のことは名字でしか呼ばないから、ちょっと違う人みたいだ。
そっか。
鈴木の家族は全員『鈴木』さんだもんね。
「まだ予選だから、たいしたことないよ。 頭なでるの、やめろよ」
鈴木が照れているのがおかしくて、あたしは笑ってしまう。
「ほら、藤谷に笑われてる。 離せって」
ようやく鈴木のお父さんが鈴木を解放した。
「藤谷……さん?」
お父さんはあたしの存在をすっかり忘れていたようだ。
「はい」
あたしが返事をすると、ようやくそこに人がいたのを思い出したように近づいてくる。
「初めまして、秀之の父です。 息子と仲良くしていただいてるんですね。 ありがとう」
「あ……いえ、あたしの方が鈴木くんにいつも迷惑かけてばっかりで」
小学校の運動会とか学芸会とかあったから、たぶん『初めまして』じゃないと思うんだけど、あたしはそのまま答えた。
「藤谷、『迷惑とか考えるな』って言ったろ」
お父さんの横をすり抜けて、鈴木があたしの隣に立つ。
何て言えばいいのかわからないんだもん。
しょうがないじゃない。
お父さんはさりげなく寄って来てあたしの隣に立った息子に何か感じるものでもあったのか、にやにやと笑っている。


 それにしてもお父さんの視線が顔じゃなくて、ずいぶん下を向いている気がする。
あ、プロミスリングか。
でも、プロミスリングの色だけじゃおそろいかなんてわかんないよね、きっと。
 

 「藤谷さん」
急に鈴木のお父さんがあたしの名前を呼ぶ。
やっぱり、鈴木とお父さんはよく似てる気がする。
「はい」
「息子をよろしくお願いします」
え?
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「はい」
あたしは疑問の言葉を飲み込むよりも早く、返事をしていた。
『もちろん大切な人ですから、大事にします』とは言えないけど、いつかお父さんの前で言う日が来るだろうか?
あたしの返事を聞いて、お父さんはゆっくりとうなずいた。
「秀之、父さんは小夜子さんと友絵を探してくる。たぶん来てるんじゃないかな? もし小夜子さんと友絵に会ったら、『1時までなら父さんが第一ゲートの脇で待ってる』って伝えてくれ」
「1時までなら第一ゲートの脇な。 もしその後見つけたらどう伝えればいいんだ?」
「『第一ゲートの脇にいなかったら先に帰っていい』って言っといてくれ」
「わかった」
「それじゃ藤谷さん、また」
あたしは言葉を出さずに、頭だけ下げる。


 『友絵』は鈴木の妹さんの名前。
これは前に鈴木の家に行った時にわかった。
ってことは、『小夜子さん』って……。
「ねぇ、鈴木、」
「何だ?」
「『小夜子さん』って、誰?」
「うちの母親だよ」
やっぱりそうなんだ。
鈴木のお母さんって前に『お茶習ってたことがある』って言ってた、あのお母さんか。


 家の中では『お父さん』『お母さん』って呼んでても、普通に名前を呼び合うんだなぁ。
うちのお父さんとお母さんも外ではああいう風にお互いの名前を呼んだりするのかな?
あたしたちはまだお互いを『藤谷』『鈴木』って名字で呼び合ってるから、ちょっとうらやましくなった。
そのうち自然に『秀之』って呼べるようになるかな?
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2010 Ai Sunahara All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-